嘘を愛する女

帰宅時に利用する電車で、わたしはつかれているにもかかわらず読書をする。今日も例にもれず、座席のいちばん隅に座って小説をひらいていた。話がクライマックスに差しかかる手前で、右目から涙がこぼれ落ちそうになる。あわてて最寄駅のひとつ手前の駅で、ホームに降りた。

ほとんど意味がないのはわかっていたけれど、右手を右目の前でぱたぱたさせて、水分が飛んでいくことを願った。そうしながら、左手でトートバックをかき混ぜて、ハンカチを探す。帰りを急ぐ人々の邪魔にならないように、流れにのって歩きながら。

せっかくだから、2度行ったことがある、まだ店主に顔を覚えられてはいない花屋で、チューリップを買って帰ろうと思った。あまりチューリップの花のかたちは好みではなかったが、今しがた読んでいた小説に白いチューリップがキーワードとして出てきたので、買ってみようという気になったのだった。

駅から3分ほど歩く、ほとんど街灯がついていない横道に入ったところにあるその花屋は、大きめの車1台が入ってしまえばいっぱいになってしまうくらいの小さい売り場しかない。とはいえ、種類ばかりたくさんあって、手入れが行き届いていないチェーン店の花屋より、よっぽど彩りがよい。

出入り口から入ってすぐの壁一面に花が置いてあるのを、わたしはざっと見る。白いチューリップがないことは、すぐにわかった。右手側にあるレジカウンターの横にある花は”季節の花”であることをわたしは知っていたので目をやったけれど、そこにも白い花はみつからなかったので、ひときわ発色のよいヒヤシンスを連れて帰ろうかと思った。

 

「こっちは春の花だよ」

店主の声に相槌をうちながら、ヒヤシンスの値段を確認した。結構いいお値段がするのだな。冬場は花もちがよいので、3週間くらいは咲いてくれるだろうか。

 

「これ、球根がついたままのチューリップなんですよ」

ゆっくり後ろを向いた店主がこちらをもういちど見たときに、手には球根つきのチューリップが入った小さな透明のカップを持っていた。球根からはぐるぐるとうずをまくように根っこが出ていたし、茎の先にはつぼみがついている。

 

「これ、もしかして、つぼみの色的に、白色ですか」

「うーん、まだね、何色が咲くかわからなくって」

たぶん、うすいピンクか白だろうけどね。と、店主は小さく笑って、カップをカウンターに置いた。

「さっき読んでた小説にね、白いチューリップが出てきたんですよ」

「へえ、そうだったんですか」

小説のなかで白いチューリップは”花嫁さん”とよばれていた。ウェディングドレスの純白からきているニックネーム。もちろん、小説の内容に感動してもいたのだけれど、今日はわたしがだいすきだった恋人に振られてちょうど1年が経つ日でもあった。ハッピーな記念日でもないのに、しっかり覚えてしまっているところが、また虚しい。だから、必要以上に感傷的でもあった。

白とでるかうすいピンクとでるか。一種の賭けのように思えた。

 「だから、これと、ヒヤシンスをください」 

了解です、と言って、持ち帰れるように準備をしてくれた。

暗算が苦手なわたしが、筆算の図式を思い描いているときにはもう花は包まれていて、結局値段がわかったのは、レジで計算してもらってからだった。溜まりにたまっていた1円玉を消費できて満足したわたしは、店主にお礼を言って、右手の出入り口に脚を向ける。

 

「いつも、ありがとうございます」

 

不意をつかれて、うえっ……へへへ、などと、奇妙なリアクションをするわたしに「またきてくださいね」とかける声はやさしかった。

 f:id:mnkm7:20180207205157j:image

 

嘘を愛する女 (徳間文庫)

嘘を愛する女 (徳間文庫)