(1)雨をよける

『とつぜんのことで、毎日つらくて、毎晩寝るのが怖く、眠れません。』

 「逆だな。わたしは目が覚めたときがいちばんしんどかった」

 

婚約破棄されたという女性からのメールの文面を目で追いながらおよそ1年前の自分を重ねる。「もうわたしは結婚できないのだろうな」と、別れを告げられた電話口で、悲観的にというよりは、かなり前向きに悟った。

こんなにも器が大きくおおらかで、やさしい陽の光に包まれながらそびえる大木のような人にすら愛想をつかされてしまうということが、どういうことを意味するのかは明白だった。大切な人に、最後の最後まで心がすり減る選択をさせ、傷つけ苦しめてきた自分自身に腹も立つ。

別れの結末が待っているくらいなら、付き合っていたときから態度を改めておくべきだった、と多くの人は説教をたれるだろうけれど、わたしはそれに対する後悔はそれほどなかった。わたしの汚い面をこんなにも他人に見せることができたのは、25年間ではじめてのことだったからだ。それはそれで、わたしの人生において非常に価値のあることだと思えた。

 

真弓まゆみ先生、私はこれからどうすればいいのでしょうか?新しい出会いはあるのでしょうか?私は結婚できますか?』

 

恋愛相談の内容は大きくふたつにわけられる。ひとつは、「(どうすれば)復縁できるか」。そしてもうひとつが、「(どうすれば)結婚できるか」。女性のプロフィール欄を再度確認する。

 

「名前、さくらんぼ、年齢、35。うわ、35か……」

 

年齢だけでいえば、わたし以上に希望がないといえる。

しかし、この年齢の人で復縁を望む素振りがないのはめずらしい。35歳すぎで別れた場合、新しい出会いにかけるよりも、直前の相手となんとかしてよりを戻してそのままなし崩し的にゴールインしたい、という人も多い。現実的に、必死に前を向こうとしているこの女性には好感がもてた。

 

『#name#さん、ほんとうに大変でしたね。人生の輝かしいスタートに心が踊り、大切なパートナーとふたりで築いていくあたたかな日々を想像していたところ、一気に急降下……。そんな状況に気持ちも追いついていきませんよね。でも大丈夫、安心してください。8月からは、まるで生い茂る緑のように、あなたのオーラは活発になります。そのオーラに導かれるように、数多くのご縁に恵まれるでしょう。

ところが、今の#name#さんのオーラは、抱える不安によって濁ってしまっています。この濁りを取り払う必要があるのです。そのためにも、ぜひこの鑑定を進めていただければと思います。』

 

「ねえ、斎藤くん、にんにくはやめようよ」

「だって! おいしいから!」

 

だってじゃないわ、とつぶやきながら、回転椅子に座ったままもぞもぞと窓際まで向かい、右手で窓を横に引っ張った。クーラーで冷え切った顔を生ぬるい風がなでていくのを感じながら、目を閉じる。隣の席のフリーター・斎藤ひろしの、にんにくがききすぎたパスタの匂いが外へと流れていく様子を想像した。

 

デスクトップパソコンを左右に3台ずつ、計6台設置した長テーブルが4つ置かれているこのオフィスでは、何を隠そう占いサイト【占いの館】の運営が行なわれている。占い師はわたしたち、スタッフだ。

占い師であることを証明できる免許書みたいなものがあるのかどうかは知らないが、少なくともわたしたちはそのようなものはもっていない。比較的暇なときは、プロフィール欄から星座を調べて、星座占いのサイトに飛んでそれらしい情報を入手したり、タロットを実際に引いた結果を伝えたりはしているが、普段はすべてなんの根拠もないことを書いている。そもそも占いに根拠があるのかどうかと言われると正しい答えがわからないので、このビジネスがグレーゾーンである理由はそこにあるといえる。

【占いの館】には鑑定士が12名いることになっているが、それらはすべて実在する人間ではない。名前もプロフィールもでたらめ。プロフィール写真もスタッフの写真をフォトショップで加工している。

わたしが今日担当している“宝山たからやま真弓先生”は、【占いの館】ではオーソドックスな鑑定をする40代のおばさま先生の設定なので、非常にやりやすい。

 

映美えいみ、35歳さくらんぼ、ポイント購入したよ」

 

わたしの席のすぐ後ろに座っている、となりのテーブルのえんちゃんの声で、閉じたままになっていた目を開けた。

縁ちゃんの名前は、八月朔日 縁ほづみ えにしという。縁を音読みして“えん”ちゃん。架空鑑定士たちより、よっぽど鑑定士らしい名前である。「親族以外は、だいたい縁ちゃんと呼ぶよ」と、彼がほかのスタッフから呼ばれているあだ名に関心したわたしに、彼が真顔でそう言ったことをよく覚えている。

 

「お、いくらですか?」

「1万」

 

自分の席には戻らず、わたしの席のすぐ後ろに座る、となりの島の縁ちゃんの横に椅子をつけて、画面を覗きこんだ。

 

「やった〜」

「さすがフリーター期待の星」

「もうすぐ社員!の予定!」

 

メール1通送るためには2,000ポイント、すなわち2,000円が必要となるのだが、初回に限り無料で送ることができる。さきほどのさくらんぼさんからの悲痛な叫びは、無料送信分。この無料送信分に、どれだけ魅力的で気になるメールを返すことができるかによって、課金ユーザーになってくれるかどうかが決まる。

この1万円分のポイント購入は、さきほど送った1通に関しては、「この先生に縋ってみよう」と思ってもらえたという証だ。わたしは、“まだポイントをもっていないはじめての相談者にポイントを購入してもらえたとき”に、最高にやりがいを感じる。アルバイトとして勤続4カ月目、「夏の終わりころを目処に」と、社員昇格の話がきていた。

 

 

!!!めちゃくちゃつづく予定!!!